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日本語版も用意しておきました、どうぞ文末をご参照になってください
日文版:「さだめ川」在日文部分中
钟馗嫁妹图
??“鬼”是什么?这个不用多说了。“鬼”怎么来的?苏州话里与“鬼”意思相近还有一个“赤佬”,来历如何?两者有何差别?
宣室对谈
??“可怜夜半虚前席,不问苍生问鬼神”李商隐(?~?)借题发挥,用了汉文帝(前~前)与贾谊(前~前)在宣室中会面时,探讨鬼神的历史传说,讽刺统治者所谓的“求贤”只是做做样子,不去关心天下苍生,却在虚无缥缈的鬼神问题上浪费时间。
未央宫宫室复原图
???宣室是指未央宫中皇帝斋戒的侧殿,原本就是“孤家寡人”在政事繁杂,精神不振之时用来与上苍对话,调整身心的地方。所以,在此地与贾谊谈论鬼神,无非是触景生情或者就事论事,很是自然,贾谊也确实有才,腹笥充盈,谈神论鬼,说得汉文帝不知不觉伸长了脖子,往对方跟前靠了过去……生死事大矣!
方士炼丹图
???两千多年前的那场关于“鬼神”的君臣夜谈,后人无从知道他们谈了些什么。我猜想一定谈到了关于人生最后归宿的问题。天子虽富有天下,也知道不免一死。今日眼前的一切越是灿烂奢华,国泰民安,就越是让皇帝眷恋现世,攥紧了权柄,而对于闭眼之后的世界则充满恐惧或者不甘。深谙其心的谋臣找出一套“事死如事生”的理论,再辅以方士熬制长生不老的仙药,神灵降下的祥瑞等魔术,让皇帝努力说服自己把江山留给太子,自己再到另一个世界里去做更大的帝王。
插图
???民间对于身后的早就不知再版过N次了,比如,之类。为了说明苏州话里的“鬼”,我又查看了许多资料,对于“鬼”的来历做了些了解。
大足石刻:六道轮回
???六道轮回①中落入饿鬼道之中才能成为鬼。执着之心旺盛,拒绝轮回投胎者也能成为鬼。其他就没有做鬼的机会了,这和上天堂,入地狱相比无意中倒要难上许多。我们先来看看富有诗意的身后旅程的概略:当脱离了肉体的羁绊之后,你首先需要到管区土地那里去登记,领取“冥府路引”亦即,如果你有造化,在世时一直做好事,你可以从土地堂里一扇充满光芒的后门进去,直通神仙世界,这就叫“特事特办”;如果你生时一直恶形恶状,不修积德,那没啥好说,天井里有直通地狱的黑窟窿等着你跳,这就是“民愤极大”;余下的凡夫俗子,芸芸众生则拿好阴间护照,通过大堂后面的那扇过道门,踏上轮回的道路,这就是“公事公办”。
过鬼门关
???风景应该不错!名称也很雅致。出了“鬼门关”,走上“黄泉路”,路旁都是花叶不相逢的彼岸花,路尽头有一座“奈何桥”,跨在缓缓西去的“忘川”之水上,过了奈何桥,登上“望乡台”,故国家乡,亲人子女就在眼前,让你恋恋不舍地再眺望一回,“差不多了,差不多了,动起来!”在地府城管队员的催促下,你走过“三生石”,跟着人流来到著名的“孟婆亭”旁,
孟婆汤里有孟婆的泪,据说孟婆就是孟姜女。
???孟婆头也不抬,只管舀着沙锅里的“孟婆汤”,倒进八仙桌上的小碗里,客客气气地说:“喝了,喝了吧,喝了好上路”,“再上哪里去?”有不明白程序的,小心地向黑脸城管问到:“当然是去阎王殿咯,你自己掂量掂量,过去做的好事多还是坏事多”“然后呢”“然后?自然是轮回。哈哈,当心有畜生道,饿鬼道哦,来过还问……”“二哥,别跟他们瞎扯,倒显得孟婆婆的汤不灵似的”旁边的白脸城管立马打住了他的话头。话音刚落,一片“嘤嘤”的啼哭之声在黄泉路上响起,:“早干嘛去了?走着吧”。
阎王殿一景
至于阎王殿那就复杂了,有十殿阎王,无数的刑具,刀山,火海,油锅等等一刻不得闲,不看也罢。一般人还轮不上!现在,有钱有势的多了,一条道走到黑的奸邪之徒层出,十殿阎王都在喊加班吃不消,所以,睁一只眼闭一只眼,胡乱打发投生的也多了,因此,科班正途的“鬼”倒少了许多。
地藏王菩萨
再有,上也写了:如果需要改变轮回的结果,请务必于入关之前,由家人进行布施,超度,行善等等操作云云,否则一入鬼道就要待满千年,除非期间遇见地藏王菩萨巡视,安排握手见面,机缘巧合者或可得超度,否则就如同歌词里写的那样:一千年以后,世界早已没有我……
?从里描述的情况看来似乎与人间差异不大,无非阴暗一些,“人”流量也未必减少,并且不用戴口罩也无需隔离。
???鬼的由来暂时解释到此,苏州话里还有一个“赤佬”,意思和“鬼”似乎没什么差别。“小鬼”与“小赤佬”,“碰着个鬼”与“碰着个赤佬”也都通用,这个究竟是怎么一回事呢?
???由于“赤佬”并未在里出现,我另外查了一些历史资料,发觉这个词也颇有来历。
??“赤”者为红色,又有“赤裸”的意思,“佬”是“家伙”的意思,专指“成年男性”。如此限定之后首先,我们可以推测出“赤佬”的范围小于“鬼”,并且不包含“女鬼”,另外,从“赤”的意义以及苏州话同音词“出”来考据,可以得到以下几种出典的可能:
北宋军队制服以红色为主,为“赤佬”创造了条件。
1.宋代对军人的蔑称。“赤佬”者,穿红色军服的家伙之谓也。根据古书②的记载,这个大约是最早的“赤佬”由来。宋代军队自仁宗朝(~)开始统一成红色军服,军人不遵军纪,便是豺狼虎豹,成为老百姓的祸害。又因宋代重文轻武,鄙视军人,因此才被以军服的颜色取上绰号。逝者不可追,但是,我们小时候看的动画片里没少出现“白狗子”,“黑狗子”,“黄狗子”的称谓。“白”,“黑”者与“赤”相对,也就是与红军相敌对的武装力量以及国统区的警察的绰号,“黄狗子”则是抗战时期穿着黄色军服的“皇协军”的绰号,分别从政治立场以及军服的颜色得名。可见这是欺压百姓的“赤佬”
2.“路倒”“暴毙”。旧时穷苦之人,乞食为生的流浪汉,一旦遭受暴冷暴热的天气,被时疫流行感染就很容易一命呜呼,即便有行善事的“善堂”之类市民互助设施来料理,也只能是草草了事,衣不蔽体芦席一卷,弃之荒野了事。衣不蔽体谓之“赤”。对这样死去的人,贬称也是“赤佬”
苏州话里这个动作称为“出手”“出脚”
3.苏州话同音词“赤”与“出”一致。“出”的意思为“抬走”“搬运”时,只限于“不动之物”。喝酒喝醉了被“出头出脚”放到床上,那酒醉之人是不会动的,一旦他要动起来了,帮忙的人立刻就换了一个动词“扶”或者“抬”,苏州人对于“不动之物”非常敏感,“出”只用于“不动的”人或物,因此“出棺材”与“出垃圾”用的是同一个“出”字。由此,“赤佬”就等于“被抬出去的不动的人”而且是“男人”,如此意思就很明白了。?
赤佬的样子大概是这样
???“鬼”是已死之人在轮回之中的一种形态,“赤佬”则是祸害人的人,是对不干人事的人以及非正常死亡者的蔑称。落在日常生活中,两者有同意的时候,也有不同侧重点的强调。同意的时候都表示“死”人,但是“死人”成为“鬼”也是“出类拔萃”的坏的结果(按照轮回说),是经过“冥府”多堂会审的判定,所以“鬼“以及”赤佬”都有贬低,厌恶的意思,一个重“积业”,一个重“状态”。不同的时候:“鬼”是经过审判后定性,甚至定型的。
苏州话里有很多鬼的名称:落水鬼,吊杀鬼,野鬼,大头鬼,青胖大头鬼……一听就有个基本方向的想象:“哦,大约如此吧!”,并且阴阳之间无非是日夜交替,太阳换作月亮般隔着薄薄的一层界限,所以大家其实并不一定怕鬼,只是没见着罢了!
感觉像“青胖大头鬼”
???不过,“赤佬”就不大一样。首先,不一定就是“鬼”,带着某种不确定性,不知道是怎么个路数,是方还是圆?所以前面所举的例子“碰着个鬼”无非是有所限定的“鬼”中的某一类,而“碰着个赤佬”就让人有点惶恐,手足无措,程度上胜于“鬼”:“格个房子里出鬼格”(那个房子里闹鬼的)凶宅里的“鬼”基本属于执着型,恋恋不舍,放弃轮回的专业“鬼”,足以让人胆颤;“格个房子里有赤佬格”(那个房子里有赤佬的)则更让人摸不着头脑,究竟是大头鬼还是吊杀鬼,还是其他什么精怪?完全没底。“赤佬”虽然不一定是“鬼”但让人更加恐惧,万一,是从“阴山背后”偷偷跑出来的呢?世上最让人害怕的不是“鬼”而是人不人,鬼不鬼的“赤佬”。
不注意形象,也会沦为“赤佬”
???还有一个不同的地方,将活生生的人可以贬低成介乎“鬼”与“人”之间时只有“赤佬”具有此功能:“日本鬼子”用苏州话说就是:日本赤佬。这是抗战时期对日军的称呼,是从这些活人的所作所为给出的称呼。有时我们可以听到一些老百姓在抱怨:“格排赤佬,阿弄得好啦?”(这帮家伙,怎么搞得好呢?)后面的内容可能是遭到城管强拆违建的,被交警处罚违章之类的情形,不去评判孰是孰非,就“赤佬”的使用而言,这就是来源1的持续。可见公家人需要注意在老百姓口中的自身形象,“赤佬”可是从北宋开始被一直骂到了今天。夫妻吵架,太太向老娘舅哭诉时:“娘舅啊,倷不晓得,俚亦不是人,俚真正是个赤佬……”(娘舅啊,你不知道,他又不是人,他真是个赤佬)“覅瞎说!不作兴格尚讲格”(别瞎说,可不能这样乱讲)娘舅连忙发话了。而此时,只有“赤佬”方能代表太太心里的愤怒。
???利用“赤佬”和“鬼”原先相同的那部分“死人”的意思,扩展范围后都可以用在人身上,可好可怀。小弟兄之间开口闭口:“倷个赤佬”(你这个家伙)如何如何,表示亲密无间;家长生气时:“倷个小赤佬,滚出去,勿许转来!”,上海人更是:“小赤佬,小瘪三”同时使用,以保持语言的鲜活度,并加强厌恶的语气。
“小赤佬”,“小瘪三”时常挂在嘴上,时间久了相貌就变化了。
后面两个例句中的“赤佬”不能用“鬼”来替代。在表达相当的蔑视与愤怒时,“鬼”是达不到那种程度的。硬要替换的话只能用“死人”来表达,“倷个小死人”“小死人,小瘪三”,那就直白了一些。
过分挑剔就是“见鬼”
? 特别提一下,“见鬼”在苏州话里是“装腔,大惊小怪”的意思,“见”读成平声。本来么“见了鬼”总是大惊失色的,与国语里的“见鬼”表示:莫名其妙,不合情理的意思并不相同。而国语的“见鬼”用苏州话来讲则是前面提到的“碰着个鬼”以及“碰着个赤佬”。?
见鬼(碰着个鬼)偶尔一次是零分,碰着个赤佬则表示再三努力之下还是零分或者连续几次零分
???
???“独(蠹)鬼”是女朋友对男朋友的亲昵,“酒鬼”“烟鬼”是太太对不听话老公的抱怨,“饿杀鬼”“泥活鬼”是家长对淘气孩子的爱怜,这些时候,“鬼”就成为了带着一些不尽人意的“人”的指代了。“穷鬼”,“缩鬼”(吝啬鬼),“霉搭鬼”(倒霉鬼),“替死鬼”,“瘦骨鬼”(瘦子),“逗鬼”(爱炫耀的家伙)等等一系列“鬼”词其实都在说人,用着“鬼”带给人的语感,起讽刺的作用,但不一定都是贬义的,有的时候当着听话人说自己的孩子:“格个小鬼,我亦(há)勿晓得俚那哼会英语考第一名格,叫啥朆看见俚温书介”(这小家伙,我也不知道他英语怎么考了第一名的,就没见他复习)这是一种自谦的骄傲。此时用“小赤佬”似乎也可以替代,但给人的感觉则是说话人“粗俗”了一些,又有一种日语里使用过谦的敬语反而让人不舒服的感觉,这就是苏州人的语感。
口头和身体语言不一,谦虚中有傲慢。
总体来看:“赤佬”的使用范围狭窄,除了几个固定使用的例子外,不如“鬼”丰富,但贬义的程度高。
???有人要问了,“赤佬”没有女的吗?“鬼”可是分男女的。我很少听到女子之间用这个词互相表示亲密无间的称呼,或许,勉强用一用,表达激动的情绪时也可以吧!现在语言进化得快,中文里面几乎不分男女。苏州话也是一样,以前说不出口的,现在不戴口罩也都在说,百无禁忌了。
赤姥
硬要说“女赤佬”的话,我建议用“赤姥”一词区分,如果看过,就知道“树精”是个老妖婆,平日是被“聂小倩”称为“姥姥”的,好比“他”和“她”一样,这样就公平了。
注释
①六道轮回:佛教用语,指众生在:天道,阿修罗道,人道,畜生道,饿鬼道,地狱道之间不断循环往复,生生死死。
②《江邻几杂志》宋·江休复字邻几(—)撰。有以下记载:都下鄙俗,目军人为赤老,莫原其意,缘尺籍得此名邪?狄青自延安入枢府,西府迓之,累日不至,问一路人,不知乃狄子也。既云未至,因谩骂曰:“迎一赤老,累日不来。”士人因呼为赤老枢。狄青(年-年)北宋名将,即便做到枢密使(军委主席)还是被欧阳修弹劾,旋即外放,郁郁而终。
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多说平常话,不作应制文
日本語版はこちらから
?“鬼”と“赤老”
伝説の中の鬼を駆使する仙人“鐘馗”の妹が嫁ぐ図
? “鬼”って何?それは言わなくても分かるだろう。“鬼”はどんな来歴だろうか?蘇州弁中の“鬼”ともう一つ意味の近い“赤老”①という言葉があり、“鬼”とどう違うか?またその来歴は?
宣室での対談
“可哀そうに夜半になって前へ身を寄せ、蒼生を問わずに鬼神を問う”②李商隠(?~?)は当てこすって、漢の文帝(前~前)が賈誼(前~前)と“宣室”で面会する時、鬼神を巡って検討した歴史伝説を借りて、統治者が所謂“賢人”を求めることがあくまで見せかけに過ぎない、天下蒼生のことに関心をせず、虚しい鬼神問題において時間の無駄遣いをしているのを諷刺していた。
前漢時代の未央宮の復元図
“宣室”は“未央宮”中の皇帝が斎戒をする脇殿であり、そもそも“孤家寡人”③が政事によって煩わしさを感じ、精神が落ち込んでいる際に上天と話し合って、気を晴らす場となっている。だから、ここで賈誼と鬼神の談話をしたのはその場での物の哀れの情緒によるかそれともその場に即して論じるかのどちらかになって、自然なことだった。賈誼も確かに才能を持っている、知識を十分備えているから、鬼神の話しをして、文帝に気づかないうちに首を伸ばさせ、彼のほうに寄り添わせていったのだ……生死は大事だからな!
方士が不老薬を練っている
二千年余り前に起こったその鬼神についての君臣の夜談の内容は後人たちに知られていなかった。推測として私はきっと人生の最後の帰着の問題に触れたと思う。天子が天下を持っているほど力があるにしても死を逃れられないのが明白に分かっている。目の前のすべてが燦燦となって豪華であり、国が安定し、庶民の生活が豊かになっているほど、皇帝に現世に対しての未練を深まらせて、更に権力をしっかりと握らせてしまう同時に目を瞑った後の世界に怖気を持たせて、悔しい気持ちいっぱい抱えさせている。その心理をはっきりと知っている臣下は“死を生と同様に扱う”理論を持ち出して、その上、方士たちが長寿不老の薬を練り上げたり、神様がめでたい兆しの物を賜ったりする手品を通じて、皇帝が自分に言い聞かせ、江山を皇子に残して、自分が他界で更に偉い帝王を続けるのだ。
「玉暦宝鈔」中の冥土使者の絵
民間では生後の「道中案内」が何度再版されたかもはや数えきれないだろう、例えば「玉暦宝鈔」、「太上感応篇」などがある。蘇州弁中の“鬼”を説明するべく、私はまた沢山の資料を調べて、鬼の来歴について調査してきた。
四川省大足石窟の六道輪廻の彫刻
六道輪廻④で餓鬼道に陥ってから鬼になれる、尚、執着心が旺盛で、輪廻を拒んだ者も鬼になれる。そのほかに鬼になれるチャンスはもうない、どうも天国に上がるや地獄に落ちるよりも難しく見える。では中々優雅な生後の旅の概略を見てみよう:肉体の絆を離脱してから、まずは管区の氏の神様の事務所へ登録しに行く、“冥界道中案内”つまり「冥土パスポート」を取得する、もしあなたが生時にいつも良いことばかりしてきたことに加えて、運もいいなら、氏神の事務所の一つ輝かしく光っている勝手口を通ると、外は仙人の世界だ;もし生時いつもへそ曲がりに悪事をしたり、善を積んだことがなければ、庭には地獄に直通している黒い穴があって、跳び込むのが余儀なくされる;残った凡人や一般人たちは冥土パスポートを持参した上、事務所の後ろの通路の門を潜り抜けて、輪廻の道に辿り着く。
さぞ景色が悪くないだろう!名前も雅やかなものだ。「鬼門関」を出て、「黄泉路」を歩み,道の両側にずらりと花と葉っぱが会わない彼岸花が生えてある、行き辺りに出ると、「やむをえない」橋があり、ゆっくりと西へ流れていく“忘れ川”の水の上を跨いでいる、やむを得ない橋を渡って、「望郷台」に上がり、故国故郷、肉親子女たちが目の前に現れ、未練深く最後に眺めることができる“いい加減にして、そろそろだ、動きだせ”と冥界の町管理人の促しを受けて、三世石を経過し、流れに挟まれて、有名な「孟婆亭」に来ている、
孟婆が作った物忘れのスープには孟婆の涙があると言われている
孟婆は相手もしないで、ひたすら土鍋から「孟婆スープ」⑤を掬いあげている:“さあ、飲んで、飲んで、飲んだ後道に上がりなさいよ”と優しく言っている:“ここからはまたどこへ行く?”と手順に迷った人が気を付けながら、黒い顔の町管理人に聞いている:“勿論、閻魔殿に行くぜ、計らってみて、今まで悪事が多いか善事が多いか”“そのあとは?”“あと?輪廻に決まっているじゃ、気を付けてね、畜生道、餓鬼道があるよ、知っているのに煩い、ははは”“二兄貴、そいつらと話さないで、孟婆のスープがかえって効かなくなるかに見えるね”隣の白い顔の町管理人が直ちにその話を遮った。話の声が終わるや否や、周りから“しくしく”と泣き声が上がってきている:“今更か、何もならないよ、とにかく行け”。
地獄の裁判の一シーン
閻魔殿を言うと、それはますます複雑になり、まず十か所もあるし、数えきれない拷問の道具、刃の山、炎の海、沸騰した油の鼎などあって、一刻の暇もない、まあ、見なくてもいい。一般の人はそこまで行くなんかは稀なことだ!今、金を持って、力を有する人が多い、悪事をする道を貫く邪険なやつも続出しているため、十か所の閻魔様も残業が多すぎて、たまらないと文句を言っているらしい、目を瞑って、闇雲に生まれ変わらせる例も増え続けている、したがって、
地蔵菩薩の像
正真正銘の“鬼”が少なくなってきている。尚、案内書には:もし 輪廻の結果を替えようとすれば、どうか関に入る前に家族に布施や済度や善事を行うなど操作をしてもらう必要がある、でなければ、餓鬼道に陥ったらそれは千年が満了するまで輪廻できなくなる、例外としては地蔵王菩薩が外出して視察する際に、面会、握手を手配される機縁があれば、済度がもらえるかもしれない、それ以外は「一千年以後」の歌詞の通りに:千年以降の世界にはとっくに僕がいなくなった……になる。
「案内書」から見ればどうも世間と変わらぬ気がする、もっと暗いぐらいの差に過ぎない、“人”の流れも減っていないが、マスクも隔離もまずは不要になっているようだ。
鬼の由来はまずこの辺でほっておきたいが、蘇州弁にはもう一つ“赤老”があって意味は“鬼”とさほど違いがない。“小鬼”と“小赤老”、“鬼に出会った”と“赤老”に出会ったも通じ合う、それはいったい何のことか?それらの差異はまたどこにあるか?
? “赤老”は「道中案内」に出ていない、やむを得ず他の資料を調べた、やはりこの言葉も由緒がある物だ。
? “赤”は赤い、また裸の意味もある、“老”は“やつ”の意味、特に大人の男性のことを言う。そう限定されれば、まず“赤老”の範囲は“鬼”より狭いのが推定できる一方“女”の“鬼”が含まれていないのも分かる、尚、赤の意味から蘇州弁の同音字から推敲すれば、以下のいくつの可能性が見られるようになってきた:
北宋時代の軍装の色は赤だった
1.宋の時代から発祥した軍人への卑しめた呼び方。“赤老”というのは赤い軍服を着ている奴の意味になる。古書の記載によれば、これは最も早い“赤老”の由来に当たると思う。宋の軍隊は仁宗時代(~)から赤い服に統一された、軍人が軍紀を守らなければすぐに獣に変わり、百姓に災いを与えてしまった、また宋の時代は文人で国を管理するから、軍人の地位が低かった、つい軍服の色によって渾名が付けられたのだ。去った者に追いつかず、我々幼い頃見たアニメの中には“白い犬”、“黒い犬”、“黄色犬”などの呼び方が少なくなかった。白、黒は“赤”と対立している、つまり“赤軍”と敵対していた武装や国民党が支配していた区域の警察に対して付けた綽名だ、黄色犬はまた抗日戦争中“皇協軍”の渾名になる。それぞれ政治立場から軍服の色から名を得た物だ。それらは百姓を欺き、苛める“赤老”だ。
2.“行倒れ”、“暴死”。昔、貧しい人たち、乞食をして浮浪している人は一旦急冷急熱の天
気に遭われて、疫病などの感染で命が奪われたことが多い、後始末をしている“善事堂”など施設があっても、草々に処置するしかできなかった、碌に体を覆うほどの衣装がないがままに簀子で包まれ、荒野にほったらかされてすむ。服が体を覆わずになっているのを“赤”と言うから、このように死去した人を貶して“赤老”と呼ぶ。
こんな格好は蘇州弁では”出”を使う
3.蘇州弁の中“赤”と“出”とは同音字だ。“出”の意味は“外に持ち出す”そして“動かない物”に限って使う。酒で酔った後、首や足を“出”されてベッドに置かれた場合は、酔った人が動かなかった、もし、酔った人が動き出したら、手伝う人の動作をすぐに“持ち上げる”や“助け起こす”になる。蘇州人は“動かない”物に対して非常に敏感なので、“出”はとにかく“動かない”物や人に使う、“死んだ人”を外に出すと‘ゴミ“を外に出すとは同じ“出”という字を使う。そこから“赤老”というのは“外に出された動かない人”そして“男の人”になる、そうすれば、意味がよく分かる。
赤老の様子はこんな物だろう
“鬼”というのはすでに死んでいる人間が輪廻に回されている状態をいう、“赤老”は人間に害を及ぼすそして人間としてやらないことすらやってしまった人及び異常に死亡した人を貶す呼び方となる。日常生活においては両者が同じ意味を持つ時もあれば、強調しようとする所が異なった場合もある。同じ意味をする時は“死んでいる”人を意味する、しかし、“死んでいる”人が“鬼”になるのも“群を抜いた”結果だ(輪廻説からは)、それは冥土で数を重ねた審判を受けた結果だ、だから“鬼”及び“赤老”は貶す、嫌がる意味を持っている、前者は“業”に重点を置いて、後者は“状態”に重点を置いている。異なっているのは“鬼”は審判を受けてから決まって、形まで決まっている物だ。
蘇州弁には鬼の呼び方が多い:水落鬼、首を括った鬼、野鬼、大きい頭の鬼、青くて頭が大きい鬼……などいろいろあり、聞くなり、決まった方向性に想像がつくものだ:“そうか、そんなものか”と思われるそして陰と陽はあくまで日夜の交代、太陽がお月さまに替えられて僅かな薄い隔たりしか持っていない感じに過ぎない、だから人間として鬼を恐れるわけとは限らず、会っていないだけだ。
これは所謂青くて頭が大きい鬼だろう
ところが、“赤老”なら、ちょっと違う。まず、“鬼”とは限らない、とある不確定な部分がある、どんなものか分からない、方か円か?前にあげた例の”鬼に出会った”というのは限られた“鬼”中のどちらかに決まっているに対して“赤老に出会った”のは幾分恐れる感じがあって、訳が分からないからだ、程度を言うと、“鬼”に勝るのだ:その家には鬼があるぞといった場合、家にいる鬼なら執着タイプで、未練が多い物で輪廻を放棄した専業鬼になっている、十分に人々を恐ろしく感じさせる;その家に“赤老”がいるぞと言ったら、更に魂消ったものになり、一体どんなものか?大きい頭の鬼?首を括った鬼?また何のお化けか?全然心当たりがない。“赤老”は必ずしも“鬼’ではないが、余計に恐ろしさを感じられる、万が一そいつは“陰山”⑥から脱出してきた物になったら?世の中に一番怖い物は“鬼”ではない、人間でもない人間、鬼でもない鬼の“赤老”だ。
町の管理人が自分自身の振舞に気を払うべきだ
生きている生の人間を“鬼”と“人”の間に貶されてしまうことができるのは“赤老”しかない:日本鬼子⑦を蘇州弁ではつまり:日本“赤老”になる、それは生きている人間同士の作為から出た呼び方だ。時に我々は百姓たちが文句を言っているのを耳にしている:“あんな赤老なら、何ができるか?”裏の内容は無理やりに規制違反の建物が取り壊されたり、交通警察に処罰されたりすることがあるかもしれない、誰が正しいかを判断したくない、“赤老”の使い方だけ言えば、すなわち由来1の持続だと言える、だから、公の関係者は百姓の輿論における自分の様子に十分注意を払うべきだと思う、“赤老”という罵り方は北宋時代からずっと今日に掛けて続いてきたからだ。夫婦喧嘩で、奥さんは年寄の舅(おじさん)に泣きながら訴えるときに:“知らないか、彼は人間じゃないよ、真に赤老なのよ”と言ったら、:“とんでもない、こんな話をやめなさい”と舅が慌てて止めておいた。ただ、その時は“赤老”だけで奥さんの心の憤りを反映することしかできなくなる。
? “赤老”と“鬼”の本来の同じ“死んでいる人間”の意味を使って、範囲を広げた後、人間に使うこともできる、意味は良し悪しと共にある。兄弟の間にいつも“お前の赤老、何々”とは隙間がない親しさを示している;親が怒って:この赤老目、出てけ、戻るな!、上海人は更に:この若赤老目、この田舎者と同時に使うことで、言葉の鮮度を保つ同時、嫌みも強める。
いつも“若赤老”や“若死人”を口癖にすれば、顔つきもおかしくなる
後者の二つの例の中の“赤老”は“鬼”で代替することができない。相当軽蔑及び憤怒の気持ちを表す場合は“鬼”ではその程度にはいかないからだ。無理やり取り換えようとすれば“死人”しかできない“この死人目”“この若死人目、田舎者”となってしまい、直接しすぎた感覚がある。
特に細かい所に精いっぱい気づくなら、まさに“鬼”に会ったものだ
注意してほしいのは国語中の“鬼を見る”(見鬼:訳が分からない、しまった)という意味は蘇州弁に“空騒ぎ、気取る、大げさに振舞う”意味になり、見る字のイントネーションは平らになる(一声)。本来“鬼を見る”なら、怖気立つのは当たり前のことだが国語の訳が分からない、辻褄が会わない意味とは違っている。国語中の“鬼を見る”(見鬼)意味は前述した“鬼に出会った”や“赤老に出会った”に相当する
しまった、またこんな成績か,真に鬼に会ったみたい
? “愚かな鬼”というのは女のほうが恋人に対する甘えた呼び方になり、“酒の鬼”、“タバコの鬼”というのは話を聞いてくれない旦那さんに対する恨みを持つ奥さんの呼び方になる、“餓死鬼”や“泥鬼”は親が悪戯っ子に対する愛を込めた呼び方だ、そんな場合は“鬼”というのがあまり自分の思うままにいかぬ人間に対する呼び名になる。“貧困な鬼”、“ケチな鬼”、“ひどい目に遭う鬼”、“濡れ衣鬼”、“骨ばった鬼”、“見せびらかす鬼”などシリーズの“鬼”言葉は実際に人間のことを言っているのだ、“鬼”がもたらしてきたニュアンスで、揶揄う働きをしているものの、すべて貶すわけではない、ある時、聞き手に自分の子供のことをこう言う:“この若鬼目、私もどうやって英語テストで一位取ったのが分からないよ、知っているか、復習する動きなんか見たこともないよ”、それは謙虚的な自慢だと言える。この場合は“若赤老目”で入れ替えても行けるが、話者の言い方がやや粗いと感じられるし、日本語のようにあまり謙虚な敬語を使って、逆に変な感じになってしまう気持ちになる、それは蘇州人のニュアンスだ。
謙虚のつもりで、気取った態度を取っている
“赤老”が使える範囲が狭い、いくつか固定した形の場合以外、“鬼”ほど豊富多彩ではないが貶す意味の程度が“鬼”より深い。
??聞く人がいるかもしれない:“赤老に女はいないか?鬼なら男女と分けているね。実は個人であまり女同士でこの言葉を使って互いに親しい呼び名として使うのを聞かなかったが、ひょっとするとたまに激動した情緒を表すために使ってもいいかも分からない。今、言葉が早く進化したので、中国語には男女を殆ど区分けされていない、蘇州弁も同じだ。今まで言い出せなかった言葉を今マスクしなくても平気に言えるようになり、なんの憚りもなくなってきた。
赤姥
どうしても“女赤老”を言うなら、“赤姥”という言葉で区分けするのを勧める、もし「倩女幽魂」という映画を見たなら、分かるだろう、例の木の化け物が怪しげな老婆から変わった物で、普段主人公の「聂小倩」によって“姥姥”(お婆さん)と呼ばれているのだ、こうすれば“他”(彼)“她”(彼女)と同じようになり、公平になるだろう。
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注 釈
①?赤老:正しい字は赤佬だ、当用漢字ではない、やむを得ず老にした。
②?原文:可憐夜半虚前席、不問蒼生問鬼神。唐の詩人李商隠の「賈生」と題した詩より。全詩は:宣室求賢訪逐臣、賈生才調更無倫。可憐夜半虚前席、不問蒼生問鬼神。
③?孤家寡人:皇帝の自称:孤、寡人を源にして、一人ぼっちの意味。
④?六道輪廻:仏教用語、衆生が:天道、阿修羅道、人道、畜生道、餓鬼道、地獄道の六道に回されて、絶えずに生まれ変わること。
⑤?孟婆スープ:伝説で冥土の中に孟婆という老婆がいて、輪廻誕生に行く途中の死んでいる人が彼女が作ったスープを飲んだら、前世のことをすべて忘れられる。
⑥?陰山:冥土中の山のこと、蘇州弁では暗い所を言う場合も使う。暗いから、どんな物か判明できない、恐怖感を感じる。
⑦?日本鬼子:Japs,抗日戦争中の日本軍に対する軽蔑の呼び方。略称:鬼子
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蝠荷堂主